ただ、子どもの障害を認める、となると、話は別でした。
医者は「様子をみましょう」としか言いませんでした。
(2才になったばかりという年齢と、
私の追いつめられた表情で、言い切れなかったのでしょう。)
「言葉が遅くて心配だったけど話せるようになった」
的なエピソードをネットで探しては、
「まだ望みはある」と自分に言い聞かせる日々でした。
いくつも病院をまわり、2才9ヶ月ごろ、ようやく、診断がおりました。
どう帰ったかは覚えていません。 足元がふわふわしていたことだけは覚えています。
次男を連れて帰れたので、本人の手だけはきつく掴んでいたのでしょう。
1週間、寝込みました。
障害を少しでも軽くするために病院や療育施設をまわる日々が始まりました。
言葉が出なければ人生おしまい。
3才までに出ないと。4才まで出ないと。
誕生日を、息を殺して迎え、「今年も言葉が出なかった」と、落ち込みました。
奇声はあげられるのに、言葉としての声はでない。
あいうえお、と真似させようとして、あ、い、う、え、お、と腹を殴りながら
声を出させていたのはこの時期です。
周りをみると、同じと思っていたお子さんたちも、まちまちでした。
できることも、できないことも、それぞれでした。
成長の度合いも、異なりました。
いま思うと、当たり前な話です。
でも、比べては、そのたびごとに、暗い気持ちになりました。
できることを増やさないと、と、あせりました。
何かしないではいられなくて、家では、作業やプリントをやらせ、本人を追いつめ、叩きました。
そのたびごとに、罪悪感にさいなまれました。
それでも止められない。
まさに、負のスパイラルでした。
このままでは、どうにかなってしまう。
次第に、外に出かけるようになりました。
障害関係の催しに参加したり、山に登りに行ったり・・・。